仏教は極楽の宗教、キリスト教はパラダイスの宗教。
豊かな土地の宗教・・・
イスラムは月の砂漠が原点で、オアシスのみがパラダイス・・・
ユダヤ教は、出エジプトが原点。バビロンの捕囚からの解放こそが、望みであり、祈りである・・・
The Great Three - 三大聖人
Sakyamuni perceived Rules from Brahman,
And then advocated Order!
Jesus perceived Words from God,
And then preached Love!
Muhammad perceived Doctrines from Allar,
And then exhorted Equality!
Aoyagi YoSuKe(ayosuke!)
सक्यामुनी पेर्सिवेद रुलेस फ्रॉम ब्रह्मण,
एंड थें अद्वोकातेद आर्डर!
जेसुस पेर्सिवेद वोर्द्स फ्रॉम गोद,
एंड थें प्रेअचेद लोवे!
मुहम्मद पेर्सिवेद दोक्ट्रिनेस फ्रॉम अल्लर,
एंड थें एक्ष्होर्तेद् एकुअलिटी!
ओयागी योसुके(अयोसुके!)
釈迦牟尼はブラフマンから啓示を受けて,
「秩序」を「説法」した。
イエスはゴッドから啓示を受けて,
「相愛」を「預言」した。
ムハンマドはアッラーから啓示を受けて,
「平等」を「説教」した。
青柳洋介(あ洋介!)
2007年5月20日 (日) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
釈迦牟尼、Jesus、Muhammad
広辞苑より
【釈迦牟尼】しゃかむに
(梵語 Sakyamuni 「牟尼」は聖者の意)仏教の開祖。インドのヒマラヤ南麓のカピラ城の浄飯王(じょうぼんのう)の子。母はマーヤー(摩耶(まや))。姓はゴータマ(瞿曇(くどん))、名はシッダールタ(悉達多)。生老病死四苦を脱するために、29歳の時、宮殿を逃れて苦行、35歳の時、ブッダガヤーの菩提樹の下に悟りを得た。その後、マガダ・コーサラなどで法を説き、80歳でクシナガラに入滅。その生没年代は、前566~486年、前463~383年など諸説がある。シャーキヤ・ムニ。釈尊。釈迦牟尼仏。
【Jesus ラテン】イエス
(ヘブライ語のイェホーシュア、またはヨシュアのギリシャ語形Iesousから。「ヤハウェは救いなり」の意)キリスト教の開祖。
北パレスチナのナザレの大工ヨセフとその妻マリアの子として生まれ、30歳ころ。家を出て、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受け、神の国の来臨の近いことを告げて、ユダヤ民族の悔改を迫った。神は慈悲深い父で、人間は皆同胞として相愛すべきことを説き、一切の偽善を排し、正義と愛との徹底を期した。初めガリラヤ地方に活動、のち首都エルサレムでパリサイ派や祭司階級批判、讒訴されてゴルゴダ丘で十字架刑により死。弟子たちはイエスが死後3日目に復活したと確信、「油注がれたる」救い主、すなわちメシア(キリスト)と信じ、ここにキリスト教が興起。イエズス。(前4頃~後28)
【Muhammad】ムハンマド
(賞賛される者の意)イスラム教の開祖。アラビアのメッカ生まれ。40歳ころアッラーの啓示を受け、預言者として唯一神の信仰と偶像崇拝の排斥、人間の平等性を訴えて新宗教を提唱したが、支配者の迫害を蒙り、622年ヤスリブ(現在のメディナ)に聖遷(ヒジュラという)、教勢を拡張して630年メッカの征服を達成。勢力は全アラビアに及び、632年に10万の信徒を従えてメッカ巡礼を行い、有名なアラファート山上の説教の後、まもなく病没。マホメット。(571頃~632)
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三大聖人の説法・預言
釈迦 「法」 イエス 「愛」 ムハンマド 「教」
釈迦は(Brahman)から啓示を受けて「秩序」を「説法」した。
法とは秩序?
イエスは(God)から啓示を受けて「相愛」を「預言」した。
言とは相愛?
ムハンマドは(Allah)から啓示を受けて「平等」を「説教」した。
教とは平等?
Art&Scienceの原点はギリシャ哲学・・・ 人がホモ・サピエンスになることを目指した・・・
水呑み百姓の科目
必須科目
暦法学、医学、物理学、化学、生物学、農学、情報工学、、、
選択科目
文化人類学、歴史学、地理学、数学、経済学、法学、哲学、文学、音楽、美術、、、
専門科目
言語学?
青柳洋介
2007年5月20日 (日) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
【パリサイ派】
キリストの時代に盛んに行われたユダヤ教の一派。
西暦前2世紀の後半に起こり、モーセの律法(日本では、お家制度)の厳格な遵守を主張、これを守らないものを汚れた者として斥けた。イエスはその偽善的傾向を激しく攻撃した。
青柳洋介
(Pharisees)(「分離する者」の意)
つまり、アパルトヘイトを築こうとしている。
それを利用して、スケープゴート政治に使おうとしている。
「スケープゴートの解放」
である。
例)
人種によるアパルトヘイトの打破
性差によるアパルトヘイトの打破
貧富によるアパルトヘイトの打破
年齢によるアパルトヘイトの打破
職業によるアパルトヘイトの打破
血筋によるアパルトヘイトの打破
など
注記)スケープゴート
いけにえのヤギ
【scapegoat】スケープゴート
(聖書に見える「贖罪の山羊」の意)民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。
だが、ユダヤ教徒は、バビロンの捕囚になった・・・
---Wikipedia
バビロン捕囚(バビロンほしゅう)は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。
概要
紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人(『エレミヤ書』によると3,023人)の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。
エホヤキムの息子のエホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。
ユダの捕囚民
ユダの捕囚民の大部はバビロニアにあるニップル市そばの灌漑用運河であるケバル川沿いに移住させられた(『エゼキエル書』による)。この地域はかつてアッシリア人の要塞があったが、新バビロニア勃興時の戦いによって荒廃しており、ユダヤ人の移住先にここが選ばれたのは減少した人口を補うためであったと考えられる。一方で職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ主としてネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に従事することになった。
『エゼキエル書』などの記録から、当初ユダの捕囚民達はこのバビロニアへの強制移住は一時的なものであり、間をおかず新バビロニアは滅亡して故国へ帰還できるという楽観論を持っていたといわれている。これに対しエレミヤとエゼキエルはエルサレム神殿の破滅が近いことを預言し、繰り返し警告を与えたが「救いの預言者」と呼ばれた人々は楽観論を吹聴してまわり、捕囚民達は滅びの預言に耳を傾けることはなかった。しかし、上述した如く紀元前586年にエルサレム神殿が破壊されると、ユダの捕囚民に広がっていた楽観論は粉砕された。
ユダヤ人とバビロニア文化
すぐに故国に帰れると言うユダヤ人の希望は幻と消え、長期に渡ってバビロニアに居住することになったユダヤ人は現地の文化の著しい影響を受けた。1、2世代を経るうちに、捕囚民の中にはバビロニア風の名前を持つ者が数多く現れた。エホヤキン王の孫ゼルバベル(「バビロンの種」の意)の例に見られる如く王族の間ですらその傾向は顕著であった。
また月名にバビロニア月名が採用された。旧来のユダヤ月名は「第一月」「第二月」のように番号でもって呼称されていたが、これが「ニサン月(第一月)」「イヤル月(第二月)」のようにバビロニア名でもって呼ばれるようになった。
そして文字文化にも大きな影響が齎された。旧来の古代ヘブル文字に変わってアラム文字草書体が使用されるようになり、文学にもバビロニア文学の影響が見られるようになった。
オリエントの強制移住
古代オリエント社会においては、反乱の防止や職人の確保、労働力の確保を目的として強制移住が行われることは頻繁に見られるものであり、ユダヤ人のバビロン捕囚も基本的にこれと変わるものではない。紀元前592年に捕囚民に対して与えられた食料の供給リストがバビロンから出土しているが、このリストにはユダ王エホヤキンやユダヤ人ガディエル、セマフヤフ、シェレミヤフなどの名前とともツロ人、ビュブロスの大工、エラム人、メディア人、ペルシア人、エジプト人、ギリシア人などの名が上げられており、広範な地域から人間が集められた事がわかる。
ユダヤ人のバビロン捕囚はこういった強制移住政策について今日最も詳細に記録が残されたものとして重要性を持つ。
バビロン捕囚の終焉
新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに打倒された紀元前537年に、ペルシア王キュロスの命令によって、ユダヤ人たちは解放され、故国に戻る許可を得た。捕囚の地から最初にエルサレムに帰還したものは42,462人という。
こういったことからユダヤの知識人は当時キュロスを大いに称えた。
「主は彼の油が注がれた者(使わされた者)クロスに向かい、かく語りたもう。我は彼の右手を支え、諸国民を彼の前に屈服せしむ。我は諸王の腰を解き、二つの扉を持つ門を彼の前に開かん。門は閉ざされることなし。我は汝の前に行き、起伏ある所を平地となさん。我は真鍮の門を粉砕し、鉄の閂を断ち切らん。我は汝に暗闇の宝物、秘所に隠された富を与える。其は汝を汝の名によりて呼ぶ我、主がイスラエルの神なることを汝が知らんためなり。我が僕ヤコブのため、我が選びしイスラエルのため…」
– 旧約聖書『イザヤ書』
ただし、こうしたユダヤ人の解放にも関わらず相当数のユダヤ人はバビロニアに残留する道を選んだと考えられる。ユダヤ人がバビロニアに強制移住させられて以来既に半世紀以上の歳月が経過しており、多くのユダヤ人達は現地に根を下ろしていたし、その多くはもはやバビロニア生まれであり、実際には一度も見たことの無い「故郷」への帰還を約束されても容易に決心の付かなかった事は想像に難くない。
王族をはじめ、パレスチナに帰還した人々(その最初の指導者はシュシバツェル(シェナツァル)であったと伝えられる)は破壊されたエルサレム神殿(第二神殿)を再建し、ペルシアの支配に服した。
参考文献
フラウィウス・ヨセフス 『ユダヤ古代誌』第10巻、11巻
アブラハム・マラマット、ハイム・タドモール著、石田友雄訳 『ユダヤ民族史1 古代編 I』 六興出版、1976年。
関連項目
アヴィニョン捕囚 - 教皇のバビロン捕囚
カテゴリ: 古代イスラエル・ユダ | 古代メソポタミア | バビロニア | 旧約聖書
///そして・・・ われわれは、星の子?
土曜日, 5月 23, 2009
みんなという意識と言葉
みんなって、だれのこと?
みんなという言葉を使う人へ
みんなって、だれのこと?
教えてください!
あなたって、だれ?
教えてください!
参考)
木曜日, 8月 07, 2008
神の子、神の友、星の子
神の子 モーゼ、イエス、ムハンマド、釈迦牟尼、シャマン、、、
神の子に近い人 親鸞、ゴッホ、Rumi、、、
神の友 コペルニクス(ガリレオ)、ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン、、、
Aoyagi YoSuKe
追伸:
神とは?
Yahweh、God、Allah、Brahman、Cosmos、、、
追伸:
われわれ 星の子
参考)
月曜日, 4月 16, 2007
We were born by a river! Or star children?
We were born by a river rather than we are the world!
Aoyagi YoSuKe
私たちが世界というよりも、私たちは川のそばで生まれた!
青柳洋介
パリ:セーヌ川、ロンドン:テムズ川、ニューヨーク:ハドソン川、
東京:江戸川、隅田川、多摩川、ソウル:漢川(ハンガン)、北京:長江、、、
エジプト:ナイル河、メソポタミア:チグリス河、ユーフラテス河、
インド:インダス河、ガンジス河、 中国:黄河、
ヨーロッパ:ライン河、ロシア:ヴォルガ河、
南米:アマゾン河、北米:ミシシッピ河、
オーストラリア:???、アフリカ:ナイル河、、、
日本人の立場から言えば、「川のそばで生まれた」になります。
だからと言って、「私たちは世界」を否定しているわけではありません。
地球は丸いです。
日本も中国もアメリカも中心ではありません。
宇宙は広いです。
地球も宇宙の中心ではありません。
宇宙の中にたくさんある銀河のひとつの端の方にある太陽系の
なかのひとつの惑星です。
銀河も河か?
やはり、私たちは河のそばで生まれた?
We are star children?
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